家賃の値上げ通知は断れる|「決定事項」ではなく「請求」です
営業トーク
「更新にあたり、来月分より家賃を5,000円改定させていただきます。同封の書類にご署名のうえ、ご返送ください」
結論
家賃の値上げは法律上「請求」であって、通知が届いた時点で決まるものではありません。借地借家法32条2項は、協議が調わないときは裁判が確定するまで相当と認める額を払えば足りると定めています。普通借家なら契約は法定更新され、貸主からの更新拒絶には正当の事由が必要です。ただし定期借家は期間満了で終了するため、扱いがまったく違います。
更新の時期に、こんな書類が届くことがあります。
「更新にあたり、来月分より家賃を5,000円改定させていただきます」
「同封の書類にご署名のうえ、ご返送ください」
決まったこととして書かれています。 でも、法律を読むと違います。
先に結論
この記事の結論
法律上は
値上げは「請求」です(借地借家法32条)。通知が届いた時点で決まるものではありません
応じない場合
条文に「裁判が確定するまでは、相当と認める額を支払うことをもって足りる」と書かれています
追い出されないのは
法定更新があるからです。貸主からの更新拒絶には正当の事由が要ります(26条・28条)
ただし
定期借家は話がまったく別です。期間が終われば契約は終了します(38条)。まず契約書を確認してください
🔴 値上げは「請求」であって「決定」ではありません
借地借家法32条1項です。
建物の借賃が……近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって建物の借賃の額の増減を請求することができる (借地借家法32条1項)
「請求することができる」です。「決定できる」とは書かれていません。
請求である以上、相手(借りている側)が応じるかどうかという話になります。応じなければ、合意は成立しません。
では応じないとどうなるか。同じ条文の2項に、はっきり書かれています。
建物の借賃の増額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は、増額を正当とする裁判が確定するまでは、相当と認める額の建物の借賃を支払うことをもって足りる
実際は
協議がまとまらない間は、自分が相当と思う額(=いまの家賃)を払っていればよい。 法律にそう書いてあります。値上げ後の額を払う義務は、その時点では発生していません。
「ご署名のうえご返送ください」という書類は、この協議を一発で終わらせるためのものです。サインすれば合意が成立します。
ただし、条文には続きがあります
正直に書いておきます。32条2項には、ただし書があります。
ただし、その裁判が確定した場合において、既に支払った額に不足があるときは、その不足額に年一割の割合による支払期後の利息を付してこれを支払わなければならない
つまり、あとで裁判になって値上げが正当だと認められた場合は、差額に年1割の利息を付けて払うことになります。
ここに注意
「断れば絶対に払わなくていい」とまでは言えません。 断れるのは事実ですが、最終的に裁判で認められれば、さかのぼって差額+年1割の利息を払います。
追い出されない理由は「法定更新」です
「値上げに応じないなら出ていってもらう」——これが通らない理由も条文にあります。
借地借家法26条1項です。
建物の賃貸借について期間の定めがある場合において、当事者が期間の満了の一年前から六月前までの間に相手方に対して更新をしない旨の通知……をしなかったときは、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなす
何もしなければ、同じ条件で自動的に更新されます。 これが法定更新です。「同一の条件」なので、家賃も従前のままです。
では貸主が更新しないと通知すればいいのか、というと、そこにも条件があります。28条です。
建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知……は……正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない
図解① 貸主が「更新しない」と言うために必要なこと
時期
期間満了の1年前から6か月前までに通知(26条1項)
中身
正当の事由(28条)。双方が建物を使う必要性、これまでの経過、建物の状況、立退料の申出などを考慮して判断されます
結果
どちらも欠ければ従前と同一の条件で更新されます。家賃もそのままです
「値上げを断られたから」は、それ自体では正当の事由になりません。28条が挙げているのは、建物を使う必要性などの事情です。
そして30条が、これを固定します。
この節の規定に反する特約で建物の賃借人に不利なものは、無効とする
CHECK
契約書に借主に不利な特約が書いてあっても、その部分は無効です。 「更新時に貸主の提示する賃料に従うものとする」といった条項があっても、それだけで従う義務が生じるわけではありません。
ここが「借りている側の立場が強い」と言われる理由です。気分の問題ではなく、条文がそう組んであります。
🔴 ただし「定期借家」は話がまったく別です
ここが最重要の分かれ道です。自分の契約がどちらかを、先に確認してください。
| 普通借家 | 定期借家 | |
|---|---|---|
| 更新 | 法定更新される | 更新がない |
| 期間満了 | 同一条件で続く | 契約は終了する |
| 住み続けるには | 何もしなくてよい | 改めて契約を結び直す(貸主が応じる保証はない) |
定期借家は借地借家法38条1項です。
期間の定めがある建物の賃貸借をする場合においては、公正証書による等書面によって契約をするときに限り、第三十条の規定にかかわらず、契約の更新がないこととする旨を定めることができる
期間が終われば終わりなので、「結び直すときに家賃を上げます」と言われたら、断る力は弱くなります。 断れば契約が終わるからです。
ただし、定期借家として成立するには要件があります。38条3項と5項です。
建物の賃貸人は、あらかじめ、建物の賃借人に対し……契約の更新がなく、期間の満了により当該建物の賃貸借は終了することについて、その旨を記載した書面を交付して説明しなければならない
建物の賃貸人が第三項の規定による説明をしなかったときは、契約の更新がないこととする旨の定めは、無効とする
実際は
契約書とは別に、「更新がない」と書いた書面を渡して説明する必要があります。 これをしていなければ、更新がないという定めは無効になります。つまり普通借家として扱われます。
もうひとつ。38条9項には、こう書かれています。
第三十二条の規定は……借賃の改定に係る特約がある場合には、適用しない
定期借家で「〇年目に賃料を〇%改定する」といった特約があると、さきほどの32条(増減請求のルール)は使えません。 特約のとおりになります。
ここに注意
まず契約書のタイトルと条項を見てください。 「定期建物賃貸借契約書」と書かれているか、「更新がない」旨の条項と、それを説明した別紙があるか。ここで話がまったく変わります。
🔴 なぜ、たいてい裁判にならないのか
ここは、貸主の側から計算してみると見えてきます。
まず、もめた場合でも貸主はいきなり訴訟を起こせません。 民事調停法24条の2です。
借地借家法……第三十二条の建物の借賃の額の増減の請求に関する事件について訴えを提起しようとする者は、まず調停の申立てをしなければならない (民事調停法24条の2)
調停 → まとまらなければ訴訟、という2段階です。
そのうえで、貸主が得るものとかかるものを並べてみます。
図解② 貸主から見た「月5,000円の値上げ」
得られるもの
月5,000円 = 年6万円
かかるもの
調停+訴訟の2段階/増額が正当だと示す資料(賃料の争いでは不動産の鑑定が使われます)/弁護士費用/決着までの年単位の時間
結果
少額の値上げでは、かかるほうが上回りやすい。だから実務では、訴訟まで進むことは多くありません
増額の根拠(税負担の変化や近隣相場)を示すのは、請求する側です。資料をそろえる手間と費用も、そちら側にかかります。
とくに効いてくるのが弁護士費用です。
相手に負担させられる「訴訟費用」の範囲は、民事訴訟費用等に関する法律2条が列挙しています。弁護士の報酬が入るのは、裁判所が選任を命じた場合(同条10号)に限られています。
十 民事訴訟等に関する法令の規定により裁判所が選任を命じた場合において当事者等が選任した弁護士又は裁判所が選任した弁護士に支払つた報酬及び費用 (民事訴訟費用等に関する法律2条)
実際は
自分で頼んだ弁護士の費用は、勝っても原則として自分持ちです。 月5,000円のために、調停と訴訟を2段階でやり、鑑定と弁護士の費用を負担し、決着まで年単位で待つ。割に合いにくい構造になっています。
ここに注意
ただし「絶対に訴えられない」とも言い切れません。 勝てば、貸主はさかのぼって差額を年1割の利息付きで回収できます(32条2項ただし書)。値上げ幅が大きい場合や、建物ごとまとめて争う場合は、計算が変わります。
実際にどうするか
図解③ 値上げ通知が届いたときの手順
1
契約書を確認する。普通借家か、定期借家か。ここで方針が変わります
2
その場でサインしない。署名して返送すれば、合意が成立します
3
書面で回答する。「増額には応じられません。従前の賃料を支払います」と、記録に残る形で伝えます
4
いまの家賃を払い続ける。ここを止めないことが最重要です
ここに注意
🔴 家賃の支払いは絶対に止めないでください。 値上げを断ることと、家賃を払わないことはまったく別です。滞納は契約解除の理由になり得ます。 断るなら「従前の額を払い続ける」が正しい形です。
受け取りを拒まれた場合には、供託という手段があります。民法494条です。
弁済者は、次に掲げる場合には、債権者のために弁済の目的物を供託することができる……一 弁済の提供をした場合において、債権者がその受領を拒んだとき (民法494条)
法務局に預けることで、支払ったのと同じ扱いになります。手続きは法務局に相談してください。
公平に書いておきます
値上げがいつも不当だ、と言いたいわけではありません。32条1項は、増減を請求できる場合をこう限定しています。
- 土地や建物に対する租税その他の負担の増減
- 土地や建物の価格の上昇・低下その他の経済事情の変動
- 近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったとき
固定資産税が上がった、周辺相場が明らかに上がった。 こうした事情があれば、値上げの請求自体は正当なものです。
CHECK
だから聞くべきはこれです。 「今回の改定の根拠を、書面で示していただけますか?」
根拠が示されれば、相場を調べて自分で判断できます。示されないなら、それも情報です。
補足
この記事は条文の説明です。実際の交渉や、正当の事由の有無といった判断は、個別の事情によって変わります。 困ったときは、お住まいの自治体の住宅相談窓口、消費生活センター、法テラスなどに相談してください。
まとめ
「家賃を改定させていただきます。ご署名のうえご返送ください」
決定事項ではありません。
- 法律上は「請求」(借地借家法32条1項)。合意しなければ成立しません
- 協議が調わない間は、裁判が確定するまで相当と認める額を払えば足りる(32条2項)
- 何もしなければ従前と同一の条件で法定更新(26条)。貸主の更新拒絶には正当の事由が要ります(28条)
- 借主に不利な特約は無効(30条)
- 貸主はいきなり訴訟を起こせません(民事調停法24条の2・調停前置)。しかも弁護士費用は勝っても原則自分持ちなので、少額の値上げは割に合いにくい
- ⚠️ ただし定期借家は期間満了で終了(38条)。まず契約書を確認してください
- ⚠️ そして家賃の支払いは止めないこと
まずやることは、ひとつです。
契約書を出して、「普通借家」か「定期借家」かを確かめる。
そこから先の話は、それで決まります。
📋 契約前にここを確認
- 契約書は「普通借家」ですか、「定期借家」ですか?
- 定期借家なら、契約時に更新がない旨の書面を交付して説明を受けましたか?
- 値上げの根拠(税負担・近隣相場など)は示されていますか?
- 更新書類にサインしていませんか?(サインは合意になります)
- 家賃の支払いは止めていませんか?(滞納は別の問題になります)