「敷金は返ってきません」は本当? 壁紙は6年で価値がゼロになります
営業トーク
「退去の立会いです。クリーニング代と壁紙の張替えで、敷金は返らないと思ってください」
結論
民法622条の2は、賃貸借が終了して物件を返したとき、敷金から借主の債務を控除した残額を返還しなければならないと定めています。返すのが原則で、引くほうが例外です。さらに民法621条は、通常の使用による損耗と経年変化を借主の原状回復義務から除いています。国交省のガイドラインは、その理由を「経年変化・通常損耗の分は、賃借人は賃料として支払ってきている」と説明しています。壁紙は6年で残存価値1円とされ、住んだ年数が長いほど借主の負担割合は下がります。
退去の立会いで、こう言われることがあります。
「クリーニング代と壁紙の張替えで、敷金は返らないと思ってください」
その場で書類にサインを求められると、断りにくいものです。
でも、法律は逆のことを書いています。
先に結論
この記事の結論
法律の原則
敷金は「返還しなければならない」。引くのは例外で、引く側が理由を示します
原状回復とは
入居時に戻すことではありません。通常の使用による傷みと経年変化は、借主の義務から除かれています
壁紙は
6年で残存価値1円。長く住むほど、借主の負担割合は下がります
ただし
故意・過失による傷は別です。何でも払わなくていい、という話ではありません
🔴 法律は「返さなければならない」と書いています
まず、条文です。
賃貸人は、敷金……を受け取っている場合において、次に掲げるときは、賃借人に対し、その受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならない。 一 賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき。 (民法622条の2)
「返還しなければならない」が原則です。 引けるのは「賃借人の債務の額」だけ。
実際は
つまり「返ってこない」のではなく、「引かれた分だけ返ってこない」が正確です。 そして引く側が、その債務がいくらあるのかを示す必要があります。
だから、退去時に確認することは決まっています。「何を、いくら引いたのか」 です。
原状回復は「入居時に戻す」ことではありません
多くの人が誤解しているのがここです。原状回復=借りたときの状態に戻す、ではありません。
条文を見ます。
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。……)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。 (民法621条)
「通常の使用による損耗」と「経年変化」は、カッコの中で除かれています。
国土交通省のガイドラインも、同じ定義です。
原状回復とは、賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること (国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」)
なぜ、そうなるのか
理由まで書かれています。ここがいちばん大事なところです。
経年変化・通常損耗の分は、賃借人は賃料として支払ってきているところで、賃借人が明け渡し時に負担すべき費用にならないはずである。 したがって、このような分まで賃借人が明け渡しに際して負担しなければならないとすると、経年変化・通常損耗の分が賃貸借契約期間中と明け渡し時とで二重に評価されることになる
家賃に、もう含まれている。 だから退去時にもう一度払うのは二重取りになる、という理屈です。
図解① どちらが負担するか
貸主が負担
経年変化・通常損耗。日焼けした壁紙、家具の設置によるへこみ、次の入居者のための化粧直し
借主が負担
故意・過失、善管注意義務違反。落書き、掃除を怠って生じたカビ、ペットのキズ
境目は
「普通に住んでいて、そうなるか」です
🔴 壁紙は6年で価値がゼロになります
ここが耐用年数の話です。ガイドラインにこう書かれています。
(壁〔クロス〕)……6年で残存価値1円となるような直線(または曲線)を想定し、負担割合を算定する。
6年住めば、壁紙の価値はゼロという扱いです。だから、張替え費用を借主に全額請求することはできません。
図解② 住んだ年数と、借主の負担割合(壁紙の場合)
6年で残存価値1円になる直線を引いた場合の割合です。ガイドラインは、把握しにくい経過年数の代わりに入居年数を使う方式を採用しています。入居時点で新品でなかった場合は、出発点を下げて算定します。
具体的に計算してみます。
傷つけた箇所の張替え費用が6万円だとします。
- 1年で退去 → 6万円 × 83% = 約5万円
- 4年で退去 → 6万円 × 33% = 約2万円
- 6年住んで退去 → ほぼ0円
CHECK
同じ傷でも、住んだ年数で金額が変わります。 「壁紙の張替えで◯万円」とだけ言われたら、年数で割り引かれているかを聞いてください。
ガイドラインは、負担する範囲についても書いています。
・壁(クロス):最低㎡単位 ……㎡単位が望ましいが、賃借人が毀損させた箇所を含む一面分までは張替え費用を賃借人負担としてもやむをえないとする。
部屋全体の張替えを請求されたら、そこは確認する余地があります。
ここに注意
🔴 年数がたてば何をしてもいい、ではありません。 ガイドラインは、経過年数を超えた設備でも「賃借人が故意に行った落書きを消すための費用(工事費や人件費等)などについては、賃借人の負担となることがある」としています。 価値がゼロなのは「モノの値段」であって、直す手間まで消えるわけではありません。
年数を考えないものもあります
すべてが年数で割り引かれるわけではありません。ここも押さえておきます。
図解③ 経過年数を考慮しないもの
襖紙・障子紙・畳表
消耗品であり減価償却資産にならないので、経過年数は考慮しません
鍵の紛失
経過年数は考慮せず、交換費用相当分を全額借主負担
クリーニング
経過年数は考慮しません。ただし借主負担になるのは通常の清掃を実施していない場合です
最後の一行が重要です。
ハウスクリーニング代は、原則として貸主負担です
ここは、いちばん引かれやすいのに、いちばん知られていません。
ガイドラインの別表では、こう分類されています。
【貸主が負担するもの】 専門業者による全体のハウスクリーニング(賃借人が通常の清掃を実施している場合) エアコンの内部洗浄(喫煙等の臭いなどが付着していない場合)
【借主が負担するもの】 ガスコンロ置き場、換気扇等の油汚れ、すす(賃借人が清掃・手入れを怠った結果汚損が生じた場合) 風呂、トイレ、洗面台の水垢、カビ等(賃借人が清掃・手入れを怠った結果汚損が生じた場合)
実際は
普通に掃除して出れば、ハウスクリーニング代は貸主負担が原則です。 「退去時のクリーニング代は一律◯万円」と自動的に引かれている場合は、特約の話になります。
「特約があります」と言われたら
契約書に「退去時のクリーニング代は借主負担」と書いてあることがあります。特約そのものは、無効ではありません。 ただし、条件があります。
ガイドラインは、3つの要件を挙げています。
図解④ 特約が効くための3要件
①
特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在すること
②
賃借人が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことについて認識していること
③
賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること
最高裁も、同じ方向の判断を示しています。ガイドラインが引用しています。
建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗及び経年変化についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗及び経年変化の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の通常損耗補修特約が明確に合意されていることが必要である
「一切の修繕は借主負担」といった漠然とした一文では足りない、ということです。ガイドラインも「単価等を明示しておくこと」が紛争防止に欠かせないとしています。
さらに、消費者契約法にはこういう規定があります。
……法令中の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比して消費者の権利を制限し又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。 (消費者契約法10条)
「民法第一条第二項に規定する基本原則」とは、信義誠実の原則のことです。一方に不公平すぎる条項は、契約書に書いてあっても無効になり得ます。
補足
特約があると言われたら、確認するのはこの3つです。 契約書のどこに書いてあるか。いくらと書いてあるか。説明を受けた記憶があるか。
まとめ
「敷金は返ってきません」
- 民法は「控除した残額を返還しなければならない」と定めています。返すのが原則です
- 原状回復は「入居時に戻すこと」ではありません。通常損耗と経年変化は借主の義務から除かれています
- 理由は、その分をすでに家賃で払っているからです。退去時にもう一度払えば二重取りになります
- 壁紙は6年で残存価値1円。 4年住めば負担は約3分の1、6年住めばほぼゼロです
- 負担する範囲は㎡単位が望ましく、広くても一面分までとされています
- ハウスクリーニング代は、普通に掃除して出れば貸主負担が原則です
- 特約は無効ではありませんが、3要件を満たす必要があります
- ただし故意・過失による傷は借主負担です。年数がたてば何でも許される、ではありません
立会いで聞くのは、この一問です。
「引かれた金額の内訳を、項目ごとに出してください」
その場でサインを求められても、内訳が出るまで待って構いません。 納得できないときは、消費者ホットライン188(局番なし)で最寄りの消費生活センターにつながります。
家賃そのものの交渉は家賃の値上げ通知は断れる、買うか借りるかの判断は「持ち家は資産になります」は本当?にまとめています。
📋 契約前にここを確認
- 差し引かれた項目ごとに、金額の内訳を出してもらいましたか?
- その傷は、通常の使用によるものですか、故意・過失によるものですか?
- 入居してから何年たっていますか?(壁紙は6年で価値がゼロです)
- ハウスクリーニング代を引かれていませんか?(原則は貸主負担です)
- 特約があると言われたら、契約書のどこに、いくらと書いてありますか?